DESIGNER

— Story of Yuji Numazawa —

ツアープロが愛した伝説的ゴルフクラブデザイナー

すでに10年近くゴルフクラブデザインの世界から遠ざかっていても、沼沢雄二という名は、依然として多くのゴルファーから畏敬の念を持って迎えられる存在である。

80年台初頭、ツアープロの9割が沼沢の製作したクラブを使っていたというエピソードは有名だ。永久シード保持者の倉本昌弘もそんなプロの一人。ツアー30勝のうち、沼沢の作ったクラブが25勝に関わっているという。倉本は「彼のクラブがなければ自分がゴルフ界で名前を残すことはなかった」とその信頼を口にする。現代では考えられない驚異的な戦歴と使用率、そして「優れたクラブは美しい」という哲学とともに、沼沢雄二はクラブデザイナーとして今も変わらず伝説的な存在なのだ。

沼沢は1985年に本間ゴルフを退職し、グランドスラマー、ジーン・サラゼンの勧めで渡米する。サラゼンは、沼沢の製作したクラブを見て「このクラブは芸術品と言っていいほど美しい。アメリカにもこれほどのものはない」と絶賛したという。一年間の滞在で、本場アメリカのゴルフに触れ、ゴルフというスポーツ、そしてゴルフクラブというものの存在を改めて見つめなおしたと沼沢は回想する。

帰国後は、1987年にブリヂストンスポーツと契約。「YNモデル」、「アクセス」をはじめ、プロ用からアマチュアゴルファーのためのクラブづくりまで精力的に取り組んだ。2007年にブリヂストンスポーツとの契約を終えるまで、本間ゴルフ時代から数えると、実に35年以上もの間、数多くの名器を残してきたのである。

ブリヂストンスポーツとの契約を終えた沼沢は、長くクラブデザインの世界から遠ざかることになる。それは結果的に意外なほど長い沈黙期間となった。それまで、プロのためのクラブ、そしてアマチュアのためのクラブ創りを続け、デザイナーとしてのエネルギーを注ぎ込んできたという自負が沼沢にはあった。奇しくも2008年のSLEルール施行を機に、もう一度ゴルフクラブというスポーツの道具を見つめ直したかったという。

30年間のパターへの想いが結晶

クラブデザイナー、沼沢雄二がふたたびクラブデザインの世界に戻るきっかけとなったのが、パターだった。
1985年、沼沢はニュージャージー州バルタスロールCCにいた。それは、ジーン・サラゼンとカーステン・ソルハイムの勧めにより、USGAのナショナル・パッティング・アソシエーションのジョン・ハウエル・ジュニアという人物に会い、パッティングというゲームのすべてを学ぶためだった。その時、「いつの日か、この深淵なるパターの世界に足を踏み入れることになる」と沼沢は心に誓ったという。

以来、30年間、沼沢の心にはいつもパターへの想いがあった。「ひとつのパターをデザインするには、ドライバーをはじめとするパター以外の全てのクラブのデザインをするのに匹敵する熱量が必要」だと沼沢は言う。その言葉が示すように、多くのクラブデザインをしている期間、沼沢はパターの研究を続けながら、自身のブランドでデザインしたパターを世に問うことをしなかった。「作ることは出来た、しかし簡単に作ってしまっては、それはゴルフへの冒涜になってしまう」、沼沢はそう考え、安易にパターデザインに足を踏み入れることを戒めていた。

しかし、唯一の例外がある。それは、ドイツ、ダイムラー・ベンツ社からの依頼で4年もの歳月をかけて製作した「メルセデス・ベンツ ザ・パター」。「美しさと機能の不可分な関係」をゴルフクラブというステージで追求する沼沢雄二の哲学に賛同したダイムラー社からの強いリクエストによって生まれたこのモデルが、沼沢雄二デザインとして、世に問うた数少ないパターである。限定200本のパターは、1本290,000円という価格にもかかわらず、わずか1ヶ月で完売。100分の1mm以下の精度で削りだされたこのパターの美しさに、多くのゴルファーが心を奪われた。

ゴルフ史に語り継がれるであろう名匠、沼沢雄二がクラブデザイナーとしてやり残したこと、それがパターだった。東日本大震災を経たことも少なからず沼沢の心に変化をもたらした。仙台出身の沼沢は震災の痛みに際し、「ゴルフの価値を今こそ問いかけてみたいと思った」という。沼沢が原点に戻って、ゴルフの価値を見つめなおそうとした時、その眼前にはパターという領域が存在した。

「メルセデス・ベンツ ザ・パター」以降、沼沢はパター研究を独自に進め、ほとんど発表することなく、多くのデザインを温めてきた。その集大成ともいえるデザインが、今まさに生まれようとしている。
最後のクラブデザインから早10年弱、ニュージャージー州バルタスロールCCでパターデザインへの想いを誓ってから30年の年月を経て、満を持して沼沢雄二が世に問う究極のパターデザイン、それが「armsgain」ブランドである。

− 沼沢雄二 プロフィール

1970年〜1985年本間ゴルフに在籍。超トッププレーヤーを含む多くのツアープロの9割が氏の製作するクラブを使用したという伝説的ゴルフクラブデザイナー。85年にはジーン・サラゼンの勧めによりクラブ研究のため渡米。帰国後の1987年からはブリヂストンスポーツと契約し、2007年まで数多くの名器を生み出す。ゴルフクラブの美しさとその機能の不可分な関係を追及し「優れたクラブは美しい」という独自の「沼沢哲学」を確立し、ゴルファーから絶大な支持を得ている。
30年来のパターデザインへの想いを具現化するべく、「armsgain(アームスゲイン)」ブランドに参画。これまでのクラブデザイナーとして研究成果を結集する。